夢を誰かに話すことはメリットよりもデメリットの方が多い。
こんにちは、くたくたくです。
最近の世の中は特にドリームキラー(夢をつぶす人)が多いように感じる。
親、友達、先生、世間。
これらすべてがドリームキラーとなりうる。
誰かに自分の夢を語ればすぐに、
「無理だろ」
「やって意味あるの?」
「えー、お前が?」
「勘違いしちゃってるね笑」
「あきらめろよ」
と否定される。
こういわれた経験はないだろうか?
そして、そういわれ続けるうちに無意識に自分には無理だという認識が生まれる。
夢を誰かに話して笑われる、馬鹿にされるとは何て世の中なんだ、と思うがどうしようもない。
そう悟った自分は中学生のころから夢を口にすることはなくなっていった。
自分への評価、すなわち自己像とは他人から言われたことでしかない。
「明るいね」といわれれば、そうであろうとするし、
「きもい」といわれれば、自分はきもいと認識し、自己嫌悪になる。
「無理だ」といわれ続ければ、どうしても無理だと思うようになる。
それほど他人からの言葉は影響を及ぼすのだ。
だが、なぜこんなにも否定的なことを悪意なくても言ってしまうのか?
それは誰にも成功してほしくないのだ。
自分が我慢してやりたくもない仕事をやって生きてきたのに誰かに好きなことをして生きられるのがたまらなく嫌なのだ。
だから、我慢しろ。成功はできない。
と世間は口をそろえて夢を持つ人を言葉のハンマーで滅多打ちにする。
そして、その人があきらめると手のひらを返して、これが人生なんだとか悟ったように言う。
誰かに成功してほしくないのは自分がみじめに思うからであろう。
そして、それはネット社会が広がるにつれ悪化しているだろう。
成功者が少し過ちを犯せば全員で袋叩きをはじめる。
自分の過ちを棚の上において。
だから、誰かに夢を話すことはいつの間にかリスキーなこととなってしまった。
ちゃんと応援してくれる人を見極めなければ害としかならない。
というより、夢は他人に話さない方がらくになったのだ。
そんな悲しい世の中になってしまった。
自分の中の常識は常に更新されている。
テレビ・ネット・本・友達から得る情報で。
そんな中最も危険になりうるドリームキラーは夢を追いかける自分自身である。
様々な常識を得て、自分のやっていることに自信を失ったり、弱気になれば、果敢に世間から引きずり降ろそうとする輩がいる。
他人やテレビは引き離すことができるが自分自身だけはいつまでも付き合っていかなければならない。
その自分が自分の夢を追いかけられるように明確なゴールをもち他人のささやきに惑わされないように生きていく必要があるのだ。
夢を目指すのは能力を伸ばす以外にも精神的に圧倒的強さを手に入れる必要があるのだろう。
だが、それだから夢を最後まで追いかけ続けられる人は美しい。。