自分の人生に違和感がある原因について考えてみた
こんにちは、くたくたくです。
少し前から自分の人生についてかなり違和感を感じ始めている。
というのも、なにかが違うのだ。
ただ、何かは全くわからないが、漠然とした不安と焦りが混在するような感じであった
なにかすべきことがあるんじゃないか?今やっていることは将来に活きるのか?
やる意味があるのか?
そんな考えが頭の中をめぐる。
最終的にはなんで今生きるのか?
どうせ最後は死んでしまうのに。。という考えにまで至る。
定期的に自分の人生にかなりの違和感を感じるようになっていった。
人生に違和感を感じると必ず、やる気がなくなり、気持ちが沈み、どうでもよくなる。
そんな状態になることが起きるようになった。
ただ、最近は向き合ってみてようやく違和感の正体に気づくこととなった。
それは自らの理想像と自分の現状にあまりにも大きな差ができてしまったための違和感であった。
漠然とした将来への不安は「お金持ちでかっこいい成功者になりたい」という理想像と何も能力のない現在との乖離によって常に生み出されていたのだ。
というのも、何か今しなければ成功者にはなれないけど何をすればいいかもわからない。ただただ時間が過ぎていくことに不安を感じていたのだ。
今思えば、そんなバカげたことに悩まされていたのかと思うが、それは気づかなければ日々もやもやした状態となってしまう。
もちろん、何かに熱中していたり、今を生きることができているときは感じないが、ふと将来を感じると不安になる。
そうなったことがあるのではないだろうか?
漠然な不安・もやもやは現代人のもつ大きな癌ともいえるのではないか?
この漠然とした不安により、今を生きることができず、将来ばかりを見てしまう。
感情、特に不安はこの理想と現実のギャップによって生み出されるのだろう。
この理想像というのはいい面でも悪い面でも強烈に影響をもたらす。
理想像を常に追いかけることでモチベーションは維持できるし、集中力も上がる。
だが、冷静になったときに理想像との違いに嫌気がさして、絶望することとなる。
これは意識的に理想像を持っているなら問題はないが、ほとんどの人は無意識に心の奥深くに刷り込まれている。
親からの言葉、自分の経験等からだんだん刷り込まれていくのだ。
そこで、まず、心が落ち着かない、やる気が全くでないときは自分の無意識的な理想像について考えることが有効だと思う。
しっかり漠然とした不安から理想像を見てあげることが重要だ。
ひとまず、不安に感じたことをすべて書き出すのだ。
たいてい不安に感じることにはなんらかのかたちで自分の意識していない理想像が絡んでいる。
それを考えることで自分の自己中心的なところがどんな理想像から生まれたのかに気づき、それだけで楽になる。
そんなことに縛られていたのか、とかなり楽になれるのです。
例を出せば、
かっこよくありたいと無意識におもっているから他人にかっこ悪いといわれれば自分でも驚くほど怒りがわいてきたりしてしまう。
英語の授業が嫌
↓
教授が当ててくるから
↓
答えを間違えたら恥ずかしい
↓
間違えない完ぺきな人でありたい
という理想像まで不安を書いていけばなんで英語の授業が嫌かわかり、かつ間違えをしない人なんていないのになんて馬鹿な理想像をもっているのだろう、と感じることができる。
そんな些細な理想像で人は影響をこれほど受けるとは。。
と思うかもしれませんが、例を挙げればきりがありません。
例えば
学歴コンプレックスがある(現 Y大学所属 志望校はA大学)
↓
Y大学はレベルが低い
↓
自分よりみんなは劣っている
↓
A大学が自分にふさわしい
↓
Y大学出身レベルでは自分はない
というように、自己中心的考えによって生み出されるものばかりです。
人生に違和感を感じたならしっかり一度自分と向き合わなければ解消されません。
無意識の理想像ほど自分を苦しめるものはないかもしれません。